遠い世界へ連れていってよ

ブラッドブラザースという舞台が、あの苦しくて切なくてどうしようもなく愛おしい世界が終わりを告げてから、二ヶ月以上が経ちました。なんだか遠い昔のことだったような、つい昨日まですぐそこにあったような、不思議な感覚が今もずっとある。パリピポが発売されるまでそれこそ毎日のようにブラブラのことばかり考えていたし、発売されて何度も何度もアルバムを聴いている日々の中でも、こうしてツアーの折り返し地点を迎えた今でも、劇中の曲や台詞が不意に頭の中を駆け巡ることが未だによくあります。それだけブラッドブラザースという作品が自分にとって大切なものになったんだろうなあって今更ながら改めて実感してる。

千穐楽が終わるどころか実は大阪公演が幕を開ける頃から細々と記事を書いてはいたしなんなら考察とかもしてみてたんですけど、書けども書けども一向に終わらなくて…考察をたくさんしてた方やきちっとまとまった読みやすい感想を早々に書かれてた方々、本当にすごいです…尊敬します…。わたしには未来永劫この記事を完成させられそうにないなと一時はお蔵入りさせようともしたんですが、でもG公演のときにきちんと記事を残しておかなかったことを未だに後悔していたりもしていて。それにやっぱりここへきちんと自分の中のブラブラへの想いを書き残さないことには昇華しきれないし、エディとミッキーの画像から未だ変えられないままの待ち受け画面とバイバイするためにもようやくこうして封印したはずの下書きを再び開いてキーボードを叩いています。ただどうしてもがっつり考察に入ると終わりが見えなさすぎるので、もうそのあたりは諦めた!とっくに舞台終わってるし。ばっさりそのあたりを削除してるので本当にただの自己満足の感想です。ものすごくエディメインというか、神ちゃんのことばかりだらだらと長ったらしく書いてます。

ここから多分いつも以上にとんでもなくどうでもいい自分語り全開なので、そういうのいらねーし!って方は今のうちに引き返してね!

 

桐山照史神山智洋 出演 舞台「ブラッドブラザース」公演決定!!”

今から4ヶ月前、2014年11月25日の夕方。職場のトイレでメールとLINEを確認しようと携帯を出して、受信ボックスの一番上に現れた情報局からのメールを開いた瞬間に目に入ったのがこの文字でした。

最初は大した内容じゃないだろうとそのままささっと読み流そうとしたけれど、神山智洋、舞台、というワードで思わず目が点になり一瞬そのまま固まってしまいました。夢?現実?うそ?妄想?どういうこと?そんなことばっかりが頭にぐるぐる浮かんでわけがわからなくて、そのままとりあえず指を動かして画面をスクロールして、確認できたのは公演場所と日程。2月に新橋演舞場、3月に大阪松竹座。そしてもう一度視線をメール本文の上の方に戻してみると、やっぱりそこに並んでいたのはどう見ても照史くんと、そして神ちゃんの名前で。何度も何度も同じ文字を繰り返し目で追って確認して、落ち着こうとツイッターを開いてみてもやっぱりTLに流れるのは動揺と歓喜に溢れるツイートばかり。頭がはっきりとすべてを理解したときには携帯を持つ手が震えていました。それからはもうただただ顔が緩んでにやにやしてしまうのが止められなくて、TLに並ぶおめでとうの文字や友人から送られてくるお祝いの言葉が全部嬉しくてたまらなかった。

それから申し込みをして、無事手元にチケットが届いて、指折り数えてついに迎えた2月14日、初日公演。散々服装に悩んでお気に入りのバッグとワンピースに決めて、新幹線に飛び乗り辿り着いた東京。お友達と待ち合わせていた場所が演舞場前だったんですが、まだ警備員さん以外人影がまったくない昼間のその場所は以前なにわともあれで訪れたときとはまったく印象が違って見えて、少しさみしくて。だけど壁に貼られたポスターに神ちゃんの姿を見つけたときにはもう一気にそんな気持ちが吹き飛んでました。何度も何度もそのポスターを眺めてはばかみたいに同じような写真ばかり撮ってた。そのあとお友達とランチして神ちゃんの話をたくさんして、ドキドキしながらいざ再度向かった新橋演舞場。開場を待ちながらいろんなひとに会って、気付けば神山担だらけの小さな輪ができていて。今まであんまり複数の同担で集まってお話した経験がなかったので、こうしてお話しているひとみんなが神ちゃんのことをいちばん大好きで、わたしたち以外にもそこかしこに同じように神ちゃんをいちばん好きで神ちゃんの晴れ舞台を観るためにここに来たひとたちがいる、そのことになんだかすごく嬉しくて胸がいっぱいで変なテンションになってしまって、思わず「ここにいるいっぱいのひとが神ちゃんのこと好きなんだ~」って口に出してしまってました。ほんとはもっとばりばり方言丸出しだったと思うけど(笑)その発言に笑ってくれたひとたちの表情もみんなどこか嬉しそうに見えて、また少し口許がゆるんじゃうのが隠せなかった。ううん、隠す気もなかったよ。

 

緊張ではやる鼓動が静まらない中ついに幕を開けた、ブラッドブラザース。自担の、大好きな神ちゃんの、はじめての外部仕事で主演舞台。だけどそのことを意識したのは本当にいちばん最初の二人が対峙して倒れた場面までで、そこからはすぐにお芝居の世界観に引き込まれていきました。そして次にエディが登場したときには、もうそこに神ちゃんはいなかった。きっと本当は最初のあの瞬間から舞台の上にいたのはエディだったんだろうけど、そのときはまだ自分の中の”神ちゃんを観に来た”という意識が勝っていて。だけどもう一度彼の姿が舞台の上に見えて第一声を発したとき、そこにはイギリスのリバプールで暮らす7歳の少年、エドワード・ライオンズしかいなかった。身長だって手や腕、脚だって目に見える部分は明らかに21歳の男性で神山智洋の姿かたちをしているはずなのに、声が、口調が、もう神ちゃんのそれではなかった。その声を聴いた瞬間わたしの脳は一気に目の前の人物と神ちゃんとを繋ぐイコールの記号を消して、エディという少年をこの世に生きるものとして認識していた。それはもちろんミッキーだって同じで、照史くんじゃなくてマイケル・ジョンストンが舞台の上で楽しそうにエディと話してたんです。わたしは元々ドラマや舞台の世界にのめり込みやすくてすぐに役者さんのことを完全に”物語の登場人物”として捉えることができるタイプなので勿論それも大いに作用していた部分はあったのかもしれないけど、それでもやっぱりカーテンコールのラストに神ちゃんと照史くんが現れるあの瞬間までずっと、わたしはあの世界に生きるエディとミッキーの人生を見ていました。あ、うそ、ずっとじゃないな。一幕の終盤、My Best Friendでエディの…いや神ちゃんの歌声が聴こえてきた瞬間だけは神ちゃんを認識してた。神ちゃんが外部のお仕事で、舞台で、歌ってる。目の前のその事実があまりにも嬉しくて幸せで夢みたいで、気付いたら涙がどうしようもないくらいにこぼれて止まらなくなってた。だけどそれも初日の一回きりで、それ以降の公演はもう毎回毎回エディとミッキーが離ればなれになるのがつらくて、明るい曲調で楽しそうに歌うのがまた余計に悲しさを煽ってきてぼろぼろ泣いてた。笑

あとはもうずっと、ひたすら夢中で物語の世界に入り込んでた。いつもあっという間に時間が過ぎていた。あのとき以外には多分ただの一度も舞台中に神ちゃんのことを考えたことはなかったと思う。とにかくエディとミッキーの幸せを祈って、結末を思い浮かべて絶望して、でもその中にも二人一緒に生を受けて最期を迎えることができたという救いを見つけて、涙と一緒にこぼれてしまいそうになる声をぐっと我慢して二人の最後を見届けて。そうしてすべてが終わったあとに差し込む、カーテンコールという名の光。エディの生涯をやりきった清々しい表情をして堂々とした足取りで神ちゃんがステージに出てくるのが、きらきらした瞳で客席中を見渡す姿がすごく眩しくて、わたしの担当は、大好きなアイドルはこんなにすごいんだよ!かっこいいんだよ!って世界中に自慢したくてたまらなかった。神山担以外にも観に行ったいろんなひとが口々に神ちゃんのことを褒めてくれるのが、心底嬉しくて誇らしかった。こんなにも胸の奥が熱く高鳴るような気持ち、きっと他では味わえない。ありがとうって、大好きだって今でも何度でも全力で叫びたいです。

 

 

エディは無邪気で純粋でまっすぐで、だけどその反面幼い頃からきっと心がおとなだった。欲しい物はなんだって手に入る。お菓子もおもちゃも、それが”物”であれば何でも。けれど本当に欲しいものはずっと手に入らない。エディにとって一番大切でかけがえのない親友を、ミッキーと一緒にいることを諦めなければ、我慢しなくてはならなかった。どんなに素敵な物が簡単に手に入るとしても、きっとエディにとって一番欲しいものはミッキーとの時間だった。母親の目を盗んでミッキーと遊んでいたけれど、結局母親のためだと幼いながら我慢してミッキーと離ればなれになる決断をしたエディは、精神的にすごくおとなだったんだろうな。

その反面ミッキーは心がこどもだった。大人になっても変わらないエディのことをミッキーはガキだと言った、たしかに社会に出て色々な事を知ったミッキーは大人になったし無邪気なままでいられた子供の頃とはまるで違うけれど、きっと心の奥底にいる本当のミッキーは変わらずにいられるエディが羨ましくて仕方なかった。無理矢理大人にならざるを得なかった現状にずっと心が追いつかないままだったんじゃないかな。

ないものねだりっていうとただの子供のワガママのように思えるけど、でもこれは多分年齢なんて関係なく誰しもが抱く感情なはず。人間は自分にないものを持った人により強く惹かれる部分があると思うし、それが近しい人物であるなら尚更そうだと思う。だからエディとミッキーそれぞれが抱いた気持ちはごく普通の、当たり前のものだった。

MY BEST FRIEND おやつくれた 辞書の言葉全部知ってた

いつもきっちり 身なりさっぱり

おれもなりたいな おしゃれでいい子に 勉強も得意な MY FRIEND

MY BEST FRIEND 悪い言葉知ってた お話は死ぬほど笑えた

いつもめちゃくちゃ 身なりくしゃくしゃ

ぼくもやりたいな サッカーに木登り 泥だらけで元気な MY FRIEND

あいつなら得意 口説き文句

あいつなら女の子知ってるはず 夢でもない グラビアでもない

見ろあの髪 たっぷり黒々 僕はネズミ色 俺焦げたソース色

ヤツの顔は完全無欠

笑われているかな 僕のこの鼻 この歯並び 口が臭いかな

全部神様のいたずらだよ

不揃いな目 とんがった耳

神様の失敗作さ おまけにブツブツ ニキビだらけ

僕だってちょっとはかっこつけてみたい 似てたらいいのに あいつに あいつに

俺だってちょっとは品よくキメてみたい 似てたらいいのに あいつに あいつに

あいつに

あいつみたいになりたい。あいつだったらきっと自分よりうまくやれるのに。そんなただ羨むだけの当たり前に生まれる感情が、大人になるにつれてどんどんドロドロとしたものに変わっていく。それがいろんな人々の感情、状況と複雑に混ざり合って悲劇を生んでしまう。そんな嫉妬や羨望の気持ちがこの物語の根底なんだろうけど、それなのにこの舞台を観終えたあとに心の中に残るのは、もちろん悲しさもあるけれどそれ以上に不思議なほどにあたたかい気持ちでした。それはきっと物語の中に散りばめられたたくさんの”愛”があったからだろうなあ。

 

理由もわからないままひたすらにダメと言われて引き離されるエディとミッキー、いつだってママにとって”よいこ”であったはずのエディの、たったひとつのわがままが許されない。そんな姿が見ていてとてもつらくて、駄々をこねてクッションを抱えながらソファにぎゅっとうずくまるちいさなからだを抱きしめたくてたまらなかった。身長170cmで筋肉のしっかりとついた男性の身体が、いくら痩せていて細身だからといってちいさいはずなんてとてもないんですよ。だけどあの瞬間のわたしの目にはいつだってエディが本当にちいさくてかわいらしい、7歳のこどもに見えていた。筋張った腕や大きな手は確実に視界に入っているはずなのに、声も動きも表情も、姿かたち以外の全部がわたしにそれを認識させなかった。歌い方だっていつもの神ちゃんのそれとはまったく違っていて、少し舌っ足らずだけどハキハキとしていて、びっくりするくらいに幼い。そんな守ってあげたくて仕方ない気持ちを引き起こさせていた存在が、二幕になると大きく成長した姿で現れる。もちろん成長していたといっても年齢設定だけの話で、衣装は変わっているけれど身長や体格は何ひとつ幼い頃のまま。それなのにきちんと”成長したエディ”に見えるんだから本当に驚かされる。明らかに発する声が低音になっていてびっくりしたけど、日本人じゃなくイギリス人の成長具合を考えるとそれすらもすっと飲み込めたし。この成長したエディの立ち居振る舞いが完全に青年のもので、可愛らしい幼さを感じさせる部分なんてなくて。守ってあげたいエディちゃんはそこにはもういなかった。思春期の青少年らしい微笑ましさは随所にあったけれど、愛する女性のことを想う表情はどう見たって男のひとのそれで、リンダに片思いするエディの切ない横顔に、壊れものを扱うみたいにやさしく抱きしめるその腕に、好きだって気持ちを隠しきれない瞳に、わたしも簡単に恋に落ちた。一幕での幼い歌声とはまったく別物の低音で切ない歌声に、何度も何度も胸をぎゅっと締め付けられた。神ちゃんが演じていたからこそわたしはエディを好きになったのかもしれないけど、それでもカーテンコールの瞬間までわたしが神ちゃんのことを考えてときめいたり苦しくなったりすることは初日のあの一瞬以外では一度たりともなかったのだから、やっぱりわたしが見ていたあの場所にきっと神ちゃんはいなかったんだろうなあ。

役者さんって自分自身に役を引き寄せる”役をモノにする”タイプの人と、自分ではない他の誰かに身体を預ける”役に憑依される”タイプの人がいると思います。勿論どちらのタイプもすごくうまい役者さんってたくさんいるし甲乙つけるようなものじゃなくて、あくまでタイプの話です。照史くんは明らかに前者で、どんな役だろうと真正面から向き合って自分の中に入れて共存できる人。ミッキーが照史くんで、照史くんがミッキーだった。ミッキーの言動の端々に照史くんを感じさせる部分があったし、今は照史くんを見ていてミッキーを思い起こさせることが度々あるんですよね。ある意味近くて遠い自分自身のような存在なのに、それをきちんとミッキーとして見せることができるのって本当にすごいと思う。そして神ちゃんはきっと後者のタイプ。その中でもまたいろいろと細かく種類が分かれると思うんだけど、大きく括るとそうなのかなあって。だって今までこちらに見せてくれていた”神ちゃん”の中には全然ない引き出しだった。少なくともわたしが見たエディの中には、神ちゃんはいなかった。あんな神ちゃん全然知らなかった。今までも神ちゃんの演技を好きだと思っていたしうまいなぁと感じていたけど、演技のタイプが後者のものだなと感じたことはそんなになくて。だけど今回の舞台ではじめてそれを目の当たりにして、新しい神ちゃんを知ったことへの動揺と興奮とで全身がぞくぞくするのが止められなかった。

そして変な話だけど、それがまだ完璧じゃない、改善するべきところがいくらでもあることが嬉しかった。今までわたしが見てきた数少ない記憶だけでの話になるけど、基本的に神ちゃんってひとつの作品に関して演じ方が一貫しているというか、あまり演技がブレないイメージがあったんです。アドリブ部分以外では、細かい動きを少しずつ変えてくることはあっても役柄の性格にまで影響する部分はいつも最初の演技プランのまま変えてこない。台風nでの緑介のときには途中で演じ方を変えてきたなぁと感じられたんですが、でもそれも一度変えてからはずっとブレないままで。それが今回のブラッドブラザースでは少しずつ日にちが経つにつれてエディの演技に変化が現れているように思えて、それが流れてくるレポからわたし以外にもそう感じてるひとがたくさんいるんだなということがわかってきて。本来なら初日から千穐楽まで一貫した演技を見せてくれる方が、万人に優しい姿勢だと思うんです。だけど演じ方を変えてきているということは神ちゃんがより一層この作品に、役柄に真剣に向き合って四苦八苦しているからこそなのかなと思えたし、まるで神ちゃんがエディと一緒に成長していっているように感じられたことが嬉しくてとても新鮮でした。それと同時に、ここへきてこうして変化を見せつけてくる姿にこのひとは本当にまだまだ底が知れないなって、わたしが思っていたよりもずっとずっと何十倍もの可能性に満ち溢れてるなって、自担ながら正直恐ろしく思えました。デビュー組としての扱いはまだまだ駆けだしの新人で年齢も若いとはいえ、事務所の中での経歴はなかなか長くてなんでも器用にできると散々言われてきた神ちゃん。今これだけできてたら今後の伸びしろはそんなにないみたいな発言も多々見てきたし、そんなことないって否定する気持ちはあっても大声でそれを叫ぶほどの自信はぶっちゃけあまりなかった。でもそんな神ちゃんが実はこちら側に見せていなかった部分がこれだけあって、まだまだこんなにも伸びしろだらけだなんて完全に自分のネガティブさを覆されたし、わたしがしていた期待より遥か高い場所にきっと連れて行ってもらえる、これからもっといろんな神ちゃんを知っていけるんだと思うとわくわくする気持ちしかありません。本当に、神山智洋ってなんてかっこいいひとなんだろう。

 

実はわたし、ずっと神ちゃんにやってほしいと思っていたことの中でもかなり上位に入るのがミュージカルのお仕事だったんです。

外部舞台でのお仕事を希望します。ミュージカルなら尚嬉しいです。

濵田くんがそうであったように外部でお仕事をすることで普段はなかなか関われないような共演者の方々から新たなものを沢山吸収できて今持っているスキルが確実に底上げされるだろうし、ひとりで見知らぬ現場に放り込まれることでコミュニケーション能力も磨かれ、あらゆる面で神ちゃん自身の更なる自信に繋がるのではないかなと思います。

何よりわたしが神ちゃんのパフォーマンスの中で一番好きな「歌」の部分を堪能でき、内容によってはダンスやアクロバット、殺陣なんかも見ることができるのではないかな~と思うので…個人的にはそれに多少の恋愛要素があれば万々歳ですw

正直お仕事が来ること自体がすごく嬉しいのであれがいいこれが嫌っていうはっきりしたものはないんですが、どんなものであろうと全力でやりきって新たに力をつけてくれるだろうと信じているので、どうか各方面のお偉いさん方は神山智洋くんをよろしくお願いします…! 

これは2014年のあけおめ後くらいの時期にaskでいただいた「神ちゃんに次にやってほしいお仕事はなんですか?」という質問への回答なんですが、まさかのブラッドブラザースでこのうちのほとんどが叶ってしまって…ひとりで放り込まれたわけではないけれど照史くんとのダブル主演ではじめてのひとばかりの外部仕事、ミュージカルとというよりかは歌の多いお芝居という印象が強いけれど歌も演技もある舞台、歌が堪能できるソロ曲、そして恋愛要素があるうえにいつかやってほしいキャラとしてツイッターでも何度か言っていた”親友の彼女に片思いしている役”。こんなにいっぺんに叶ってしまっていいのかとちょっと狼狽えました。なんか、ほんとにいいのかなって。いいもなにももう現実になってるのにね。べつにそれがなんだっていう話なんだけど、でもやっぱり自分の願っていたことを神ちゃんに叶えてもらえるって本当に嬉しくて。こんなふうに叶えられちゃうと、また余計にたくさんあれもこれもって願ってしまうからほんとどうしようもないなぁ…どうしても神ちゃんのお仕事に関してだけは欲張りになってしまうわたしがいる。でも神ちゃんならきっとこれからもいろんな夢を叶えてきらきらした景色をたくさん見せてくれるだろうなって信じてるから、こんな欲張りな自分も嫌いにならずにいられるよ。笑

 

いいカンパニーの定義なんかわからないけれど、でもブラッドブラザースという作品に関わっていたキャストさんもスタッフさんも演奏者さんも全部ひっくるめて本当に素敵ないいカンパニーだった。劇中の場面の端々から、そしてカーテンコールのあの場から滲み出ていた穏やかなあたたかさが間違いなくそれを表していたと思う。そんな素敵なひとたちに囲まれた環境で神ちゃんがお芝居をできたこと、ミッキーだけじゃなくエディのこともキャストさんから”息子”や”弟”、”自分の手で育てたかった”なんて言ってもらえたこと、千穐楽の挨拶で鈴木ほのかさんがあんなにも神ちゃん神ちゃんって、本当に可愛がってくれていたんだなって客席にも伝わるくらいに語ってくださったこと。わたしはただのファンでそれ以上のなんでもないけれど、それでも神ちゃんが輪の中できちんと愛されていたことがいろんな言葉で紡がれて垣間見えるたびに嬉しくてたまりませんでした。神ちゃんのはじめての外部でのお仕事がブラッドブラザースで、このカンパニーで、そして照史くんが一緒にいてくれて、本当によかった。

次に神ちゃんが演技のお仕事をするときには、神ちゃんは今回のようにメンバーと一緒というわけではなくてきっとひとりで外の世界に挑まなくてはならないんだろうと思います。そうであってほしい。千穐楽の挨拶で神ちゃんが「逃げ出したくなることもあった」って言ったとき、ただでさえもう他の方の挨拶で号泣しまくってたのにそこから余計に涙のタガが外れてしまってどうしようもなくなってしまって。普段あまり弱音を吐かない神ちゃんが、あの強がりの神ちゃんがこぼした、逃げ出したかったという本音。はじめての外部舞台、はじめての知らないひとだらけの現場、はじめてのダブル主演、はじめてのジャニーズの外の世界。ただでさえ人見知りな神ちゃんにとってこのお仕事には技術的な面でも精神的な面でも多分わたしたちが想像する以上にすごく高い壁がいくつもあって、だけどその少しの弱音のあとに続いたのは「毎日が楽しくて、輝いてて」っていう言葉だった。逃げ出したいこともあったけど、それでもしっかりと踏ん張って足を前に進めてハードルを飛び越えたからこそきっと見えた明るく輝く景色。この言葉をわたしたちに伝えてくれたときの神ちゃんは本当に晴れやかで達成感に溢れた表情で、きらきら眩しくて、今でもまぶたの裏に焼き付いて離れないままわたしの中にしっかりと刻まれてます。どんなに時が経ってわたしの中の細胞が少しずつ衰えていったとしても、できるだけ長くあの瞬間を記憶していたい。忘れたくない。

もしまた次の新たな世界に飛び出してそこで壁にぶつかることがあったとして、そのときに神ちゃんが思い出すことの中には間違いなくブラッドブラザースで得たたくさんの知識や経験があるんだろうな。今このときに神ちゃんのファンでいられて、そんな特別な思い出のひとつになったであろう場面に立ち会えたことは、本当に幸運なことだなと思います。もっと早くに神ちゃんに出会いたかった、あのときのあの舞台やコンサートに行っていたかった、なんて知らない過去を羨むことは正直なくはないです。だけどブラッドブラザースという作品の中でエディに、エディを演じる神ちゃんに出会えてこの目で耳で全身であの時間を体感できたことは、わたしにとってこのうえなく幸福でかけがえのない出来事でした。またこの素敵な作品とカンパニーに再会できる日が来ることを、ひたすらに願って止みません。

 

いつかきっと、神ちゃんがひとりで”主演”という役割を背負うときが来ると思う。そんな日が来るに違いないと信じてる。そのときわたしは自分の生活がどうなっているのか、今と同じようにジャニヲタでいるのか、もしかすると今よりずっと落ち着いてお茶の間ファンになっているのか、まったくわかりません。だけど一度好きになったものを嫌いになってしまうことはないわたしだから、神ちゃんのことを嫌いになることなんて絶対にない、これだけは胸を張って言えるから。だからそんな素敵なお知らせをおめでとうって心から喜べる未来が待ってるといいなと強く思います。でもやっぱりできることならこの目でその晴れ舞台を観られるといいなあ、なんてね。